気圧のせいは仏の知恵では?

本日は雨である。全国的に雨が降っているらしい。地域によっては雪まで降っているらしい。

 

春分の日だと言うのになかなかの天気だ。ある意味では春一番と言うことなのかもしれないけれど。

 

こういう時にネット上でよく聞く言葉に「気圧のせいだから自分を責めちゃいけない、ゆっくり休みましょう」みたいな言葉がよく見られる。これはとてもいい言葉だなと思っている。

 

私の知り合いには結構こういう時に体調崩す人が多い。日頃会っていない人でもインターネットごしに苦痛を感じているのをなんとなく知ることがある。

 

その苦痛にあれこれと言い出さないで、誰のせいでもない気圧のせい天気のせいと言うのは結構思いやりにあふれた言葉だと思うのだ。

 

さらにいいと思う点は誰でも気軽に使えるし、誰のせいでもないから。天気は誰にも操れないし気圧も誰も操れない、気圧の変化があったからってどこに避難したら避けられるというわけではない。だから今は安静にしていなさいと言う言葉である。

 

もっと親しい人なら適切な言葉をかけられたりするのかもしれないが、たいていの人はそこまで親しいわけではない。けれど心配になったりもする。そんな時にとりあえず休めではなく、こういう天候だから安静にした方が良いと理由付けをしてあげると言うのは特に生真面目な人に対してはいいような気がする。

 

苦しんでいる人に対してどうして苦しいの?と言ってもしょうがないことである。苦しんでいる人はたいていは苦痛に耐えることで精一杯で原因なんてわからないのだ。苦しいと言うことを認識しているだけで精一杯なのだ。

しかし人間というのはややこしい生き物で、顔見知り程度でも苦しんでいる人を放っておくとバツが悪い。だから何かしようとする。しかし原因がわからない。だから理由を本人に尋ねて余計に苦しめてしまう。

 

悪循環だ。

 

人間が本当に苦しんでいる理由なんて医者じゃなきゃわからない。医者ですらわからない時だっていっぱいある。何が原因なんて神のみぞ知ると言うやつかもしれない。

 

しかしそんな時に天気のせいだよ気圧のせいだよと言うのはなんとなく思いやりにあふれていた言葉な気がする。思いやりと言うよりは知恵かもしれない。今苦しいならまず休みなさい。きっとそれはどうしようもないことで、あなたのせいじゃないんだよ、ということを思い詰めやすいタイプでもソフトに伝えられる。それは1種の仏の中じゃないかだんだん思って生きている。

 

そんなわけで今日体調が悪いあなたそれは気圧のせいです。気圧のせいじゃなくても調子が悪い時はゆっくりしたほうがいいです、状況が許すならばですが。